日光と伊福部昭先生
2010年7月25日(日)栃木県日光市 日光市今市文化会館において、オール伊福部作品プログラム演奏会“日光市ゆかりの現代作曲界の巨匠”「伊福部昭の世界」が開催されました。
しかし、当時の東京は食料の窮乏、治安の不安定等で転入規制が敷かれていたため、さしあたり早坂氏の友人であるトロンボーン奏者“平山氏”が所有する山荘に御家族で住むこととなります。その山荘が有ったところが日光市 久次良でした。
「日光ゆかりの、、、」の所以
「初めての家族旅行」記録とともに ―日光 久次良ルポルタージュ―
世間一般に「家族旅行」の話題が盛んにされるようになった1956年、極氏が小学1年生の夏休みに、伊福部家で初めての「家族旅行」が行われました。
行き先は伊福部先生の「それじゃあ、日光にしようか」の提案により“日光巡り”となり、「小西旅館」(現・奥日光小西ホテル)を利用し、「久次良神社」⇒かつての住まいであった「山荘」⇒「日光東照宮」⇒「中禅寺湖」(この間「金谷ホテル」のレストランでも食事をしたとのこと)を2泊3日の日程で巡ることとなりました。
久次良神社
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久次良神社はかつての住まいである「山荘」のすぐ近くにあり、境内の梵字が彫られた「久次良石」(当会で勝手に命名)は、上京後日光へ移り住んだ当時から有ったもので、伊福部先生と奥様もよく覚えており、この家族旅行の際も記念撮影をされています。(PHOTO by Akira IFUKUBE)
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久次良神社には「味耜高彦根命」(あじすきたかひこねのみこと)が祭神として祭られており、併せて向かって左側に「伊勢神宮」、右側に「春日大社」と「稲荷大社」も祭られている。
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2006年12月、小杉放菴記念日光美術館において行われたピアニスト山田令子氏の演奏会のため日光を訪れた際、偶然にも「久次良石」を発見し喜ぶ御長男 極氏と御次女 姜子氏。
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久次良神社の境内から見える、山田令子氏が在学していたかつての県立日光高等学校(2005年に県立足尾高等学校と統合し、現在は「県立日光明峰高等学校」)の校舎。久次良神社から至近距離のところにあり、伊福部先生と山田令子氏との縁の深さが感じられる。
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▲豊かな久次良の自然(PHOTO by Kiwami IFUKUBE)
山 荘
久次良での住まい「山荘」では、「管絃楽法」原稿執筆、歌曲「ギリヤーク族の古き吟誦歌」、「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲」(「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」初稿)の作曲が行われ、初めての映画音楽担当作品「銀嶺の果て」初稿台本(初稿時タイトル「山小屋の三悪人」)を受け取り、そして、御次女 姜子氏が誕生されています。
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家族旅行でも「山荘」を訪れており、当初家族みんなで記念撮影をしようとしたところ、伊福部先生の「この旅行では、どうしても姜子と“生家”のツーショットを撮る必要がある!!」との強い主張により、この写真が撮影されました。(PHOTO by Akira IFUKUBE)
姜子氏の表情が少々伏し目がちなのは、生来写真を撮られることを好まなかったことと、自分の生家がイメージと違っていたためのショック(?)のため。
また、この「山荘」は東京音楽学校(現 東京芸術大学)での伊福部先生の講義に感動した芥川也寸志氏が訪れた(下記参照)ことでも有名であり、「山荘」が写されているこの写真は極めて貴重なものです。
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ぼくには思い込むところがあって、「とにかくこういう先生につかなきゃ」と一途に思ったわけですよね、そのとき。それで二回目の授業のときに、先生につきたいから自宅へ行きたいといったら「私は日光に住んでます。日光まで来るのたいへんです」。
ぼくは学校の総代とかいう世話役をやっていたんで、授業が終わってから学友会の仕事をして、夕方、浅草から東武電車に乗った。そのときは雪が降ってきて、当時の電車は電灯がつかなくて真っ暗なんですよ。窓という窓はガラスが一枚もない、板が張ってあったりして。それで日光へ着いたんですよね。着いたら真っ暗。大体、道を教わっていたんだけれども、山の中を手探りなんですよ。ポチッと光りが見えたんです。それ以外、光りがないから、そこだろうと思って・・・・・・。コンコンとドアをたたいたら、奥さんが出てきて先生が出てきて・・・・・・三日三晩泊り込んだんです。伊福部さんは自分の昔の「交響譚詩」だとかいろいろな作品のスコアを見せてピアノを弾いた。当時、食糧事情の非常に悪いときで、奥さんが苦労しておイモやなんかで今川焼みたいなのをつくって下さった。三日間も不意の来客で、さぞご迷惑だったろうと思うんですけれども。学校なんかすっぽらかしちゃって。
(「芥川也寸志 その芸術と行動」東京新聞出版局 収録“芥川也寸志、芥川也寸志を語る”より抜粋)
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先の極氏の文章のとおり、久次良において姜子氏出産後、産後の肥立ちが悪かった奥様に「猿の脳味噌」を平たく乾燥させた物(板と板との間に挟み軒先に干して乾燥させる製薬方法。「熊の胃」「キツネの舌」と同じ製法と話されていたとのこと)を煎じて飲ませたところ(いわゆる“ゲテ物”を嫌う奥様に、何かしら真実とは異なったことを伝えて飲ませたため、終生そのことについて伊福部先生は叱られていたとのこと)快方へ向かい、子育てにも手が回るようになり、姜子氏が無事に育ったという説明後、伊福部先生の「この旅行では、どうしても姜子と“猿”のツーショットを撮る必要がある!!」との強い主張により撮影された、久次良生活当時キュウリをよく頂いたというご近所さんの庭に飼われていた猿とのツーショット写真。(PHOTO
by Akira IFUKUBE)
日光東照宮・中禅寺湖
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▲日光東照宮「三猿」にて(左)/「神橋」にて(右)
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▲日光東照宮「五重塔」にて
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▲中禅寺湖においての家族写真
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日光東照宮 参道にて
伊福部先生ゆかりの地、日光にも是非お立ち寄りください。