管絃樂の爲の音詩「寒帯林」楽譜校正を終えて

 私が伊福部先生に初めてお見知りいただいたのは音楽大学の入学試験の時である。爾来あたたかなお人柄とその碩学に魅了され、二十年に亘りお傍で学ぶことを許されたのは身に余る幸せであった。四年前のご逝去は今なお慟哭の悲しみである。

 

 このたび、ご縁あって「寒帯林」上演にあたりスコアの校正と演奏用パート譜の作成を担当させていただいた。願わくば今一度、先生に直接ご教示を賜りたかった多くの事柄を擱いての復元である。誤謬があればその責任はひとえに私の作業に負うものであり、あらためてこの重責に身の引き締まる思いでいる。

 

 過日オーケストラ・ニッポニカの方々に楽譜を託し、暫し歓談させていただいた。みなさまの演奏会へ賭ける並々ならぬ熱意と、作曲家・伊福部への敬意と愛情に満ちたお話に胸が熱くなった。来る演奏会の成功を確信する所以である。

 

 さて「校訂報告」と云うほど大仰なものではないが、ここに作業の経過と私見をいくつか述べさせていただきたい。

 

 浄書の底本とした自筆譜には赤インクで随所に修正が施されている。推敲の形跡はダイナミクス、アーティキュレーション、オーケストレーションの変更から小節のカットにまで及ぶ。かつて満州で使用された楽譜がこの遺稿を清書したものなのか、初演後にも更に加筆・訂正がなされたのかはその筆跡からは判然としなかった。何れにせよ表紙に書かれたLast Proofの文字を作者の最終意思として尊重したい。

 

 遺稿にはリハーサル・ナンバーが書かれていないため、私の判断で楽章別にアルファベットで適宜配置した。

 

 スタッカートの表記に2種類の記号、いわゆる点型と線(楔)型が使われているが、同一音型の反復にその両方が多く混在している。staccato staccatissimo の使い分けとも考えられるが、その相違による演奏上の効果が認められず、この「違い」が著しく奏者に混乱を与えると思われる箇所に限り、作者の「筆跡の癖」と見なし、私の一存で各々の楽案に合わせて統一した。これらは特に管楽器パートに頻出するところから、この「点」と「線(楔)」の違いは「音の長さ」ではなく「息のスピード感」に思いを込めて書かれたものではないかと考えている。

 

 他のアーティキュレーションについても同様に、一度提示された楽想の再現で、同じオーケストレーションにもかかわらず「指示が無い」場合、「無い」ことによる演奏上の変化、効果が認められない部分は「書き落とし」と判断して追記した。

 

 ヘ音記号で書かれたホルンの「転記の誤り」と思われる音は訂正している。作風から低音弦楽器との長2度による不協和音程の「ねらい」と考えられなくもないが、オーケストレーションの見地からは、作者はこの配置を絶対に諒としていない。(完本・管絃楽法 306ページに詳しい)

 

 ティンパニの一部に多くの訂正が書き重ねられた判読に困難な箇所がある。斜線で消された4小節間の、ページが変わる4小節目にだけ音符が書かれていない。また、訂正として書き加えられた3小節間の音符には符尾に「横線」が加えられ、トレモロの指示か更なる変更なのか疑問が残る。ダイナミクスが消されていない以上、音符そのものは有効と推察するが、これは指揮者、奏者の見解を伺って最終判断としたい。

 

 ヴァイオリンの div. unis. の書き忘れと思われる部分(高音域におけるアレグロでの重音による連続移動)にはこれを付記した。作者はこの楽器の相当な名手であったが、前述の著書で「重音」について次のように注意を喚起している。『上述したもの, 及び以下示す上方の限界は管絃楽の Part としての安全な範囲である。Solo の場合は奏者の技量によって, この限度を遙かに超えたものもまた可能であるのは言を俟たない。』(完本・管絃楽法23ページ)指示語を追記した箇所はこの安全な範囲を遙かに超えていた。

 

 他にもスラーや符尾の向き等、浄書のための変更を行ったが、これらは作者が東京音楽大学のゼミナールにおいて「楽譜の書き方」の規範として推奨していた Gardner Read 著、“Music Notation”を準拠としている。また、永瀬博彦氏には主に本作のフォルムについて分析していただき、多くの助言を賜った。

 

 このホームページの代表・羽田直人氏は伊福部先生ご本人から直接、この曲は「平易に書かざるを得なかった」と聞いている。僭越ながら勝手に斟酌すれば、先生は「編成の制約による楽器選択の不自由」を永く記憶しておられたのではなかろうか。
この曲は部分的には決して平易に書かれていない。木管楽器には同族楽器の使用、持ち替えが無く、その穴を埋めるかの如く使用音域は最低音から最高音、オーボエに至っては極限音域にまで及ぶ。トランペットもまた高音域での細かなパッセージの連続を要求されている。たしかに後年書かれた「タプカーラ」や「リトミカ・オスティナータ」に比べると技術的には易しいが、交響作品としての魅力、完成度に全く遜色はない。

 

 1945年、初演の際作者は31歳である。今回この曲を聴かれる方は皆等しく、当時すでに現在私達が知る往年の作風、いわゆる「伊福部節」が完成されていたことに驚かされるであろう。満州での演奏後、このモティーフのいくつかは他の楽曲に転用されて行く。大戦直後のやむを得ぬ事情があったに違いない。しかし今ここに楽譜校正を終え、あらためて先生の肉筆を眺めていると、方々に散らばっていた数々の楽想が、長い年月を経てようやく本来在るべき場所に戻って来たように思われてならないのである。

 

 音詩「寒帯林」は作曲家・伊福部昭が、若くしてその独自の様式を確固たるものとした記念すべき傑作である。

 

平成225月 今井 聡

 

第一回 了