不明楽譜4作品を新たに発見

当会、出口寛泰によって進められている作曲家 小杉太一郎氏の研究・調査活動は、前回の不明楽譜5作品の発見に続き、新たに存在そのものがこれまで未確認だった幻の大作「交響楽」、日本の太鼓第三輯「綾の太鼓」他の純音楽作品を含む不明楽譜4作品(オリジナル手稿譜)の発見に至りましたので、御報告致します。

 今回発見された各作品の詳細については以下を御高覧ください。


▲「交響楽」作曲当時の小杉太一郎氏(写真左)。
「六つの管楽器の為の協奏曲」の第21回毎日音楽コンクール作曲部門第1位入賞を受け、

プロフィール用に撮影された写真。
写真右は、「綾の太鼓」作曲当時の小杉太一郎氏。仕事部屋にて(写真提供:小杉家)

「交響楽」

 楽器編成は3管編成にハープ2台、打楽器(ティンパニ、グランカッサ、スネアドラム、テナードラム、合わせシンバル、タンバリン、トライアングル、ウッドブロック等)という小杉太一郎氏のこれまでの舞踊作品、カンタータ作品以外の純粋な管絃楽作品としては最大のものとなっている。

 

 楽曲構成は、第1楽章 Andante 第2楽章 Lento 第3楽章 Allegro con brio3楽章形式。

総楽譜頁数155頁。

 

 楽譜は楽曲名が書かれていると思われる表紙部が欠落した状態で発見された。このため、小杉氏作品表中どの作品に当たるのかが当初不明だったが、楽譜最終頁の作品完成日【June 9.1953. Tokio Japan】の記載、3楽章形式という楽曲構成、そして、その楽器編成規模の大きさから、かつて伊福部昭先生が小杉氏逝去を受け書かれた弔辞の文中「これ〔註:『六つの管楽器の為の協奏曲』(1952)〕に続いて、ブラジルのために『交響曲』を書き上げられましたが、その構成などについて語り合ったのも、つい昨日のようです。」の『交響曲』に当たる作品であるという結論に至った。

 

 また、小杉氏の『交響曲』作品名については、これまで演奏会プログラム・書物等の作曲者紹介文中において、「交響曲第1番」、「第1交響曲」等、複数の表記が存在するが、小杉家御遺族との検討の結果、1973年の小杉氏作品 カンタータ「大いなる故郷石巻」初演の際、プログラム掲載用に小杉氏自身が作成した自身のプロフィールの中に「交響楽第1番」と書かれていること、併せて、結果的に小杉氏の生前に「交響楽」の第2番は書かれなかったことから、「交響楽第1番」の1を取り、作品名を「交響楽」に統一することとした。

 

 現在、この「交響楽」については作曲経緯として、小杉氏の父親である俳優・映画監督の小杉勇氏が映画のロケーションのためブラジルを訪れた際に、自分の息子が作曲家であることを話し、ブラジルでの作品演奏を独断で取り決めて来たことを受け、「交響楽」を書くことになったという話が小杉家に伝わっていることが確認さ

れている。

 

 通常小杉氏は作品の清書をペンで書いており、全て鉛筆で書かれている今回発見された楽譜は、ブラジルへ提出後も作品が手元に残ることを目的に作成された清書の写しであると考えられる。

 

 楽曲内容としては、「交響楽」の第1楽章と第2楽章が、先に発見された「弦楽三重奏の為の二つのレジェンド」の第1楽章、第2楽章にさらに手を加えた上でオーケストレーションを施し、第1楽章、第2楽章の順番を入れ替えたものであるということが判明している。併せて、第3楽章はまったくのオリジナルであり、特に譜面上からでも異常なぐらいの手の込みようで作曲されていることが伝わる内容となっている。

 

 また、楽譜には明らかに1度演奏した上で書き込まれた変更・改訂のメモ書きが多々残されている。しかし、これだけの規模の作品を演奏することは無論容易なことではなく、これまで国内でこの「交響楽」にあたる作品が演奏されたという記録は現在確認されていない。

 

 小杉氏は生涯1度も海外に行ったことが無いことから、ブラジルでの演奏を聴いたということは考え難く、可能性としてブラジルでの演奏をテープに録音したものを聴いた、ということも考えられなくもないが、年代的に録音テープがどこまで一般的に普及していたかが判然としていない。

また、確かにブラジルに於いて初演されたという記録も現在未確認のため、小杉氏がどのようにしてこの「交響楽」の演奏を聴き、メモ書きを残したか、確実なことは判明していない。

 

 いずれにしても、作品規模・完成度の高さから、日本現代音楽史的見地からも極めて重要な作品であると考えられる。

▲発見された「交響楽」スコア

題名不詳の管絃楽作品

 2管編成、1楽章形式の作品。総楽譜頁数36頁。

 

 「交響楽」同様、表紙部が欠落した状態で発見され、楽譜中に作品完成年月日は記載されていない。しかし、楽譜の紙質・古さ具合が、1960年代の映画音楽楽譜と共通することから、この年代頃の作品であると推測されている。

 

 楽曲内容は小杉氏の作品中でも特異なものであり、あたかも深井史郎氏作曲の「パロディ的な4楽章」を彷彿とさせるような構成で、ドビュッシーから、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ガーシュイン等々、小杉氏好みの作曲家の諸作品のパロディ的楽曲が連ねられている。

 

 楽器編成においても、小杉氏の作品では極めて珍しく、途中持ち換えでアルトサックスとテナーサックスが使用され、曲の後半ではスウィング、クールといったジャズやブロードウェイスタイルのミュージカルパロディまで登場する極めてバラエティに富んだ内容となっている。

 

 当初は舞踊曲とも考えられたが、楽曲内容、楽譜の書き方、展開の速さ等から推測すると、パントマイムや人形劇のために書かれたとも考えられる。 しかし、いずれにせよ1960年代という映画音楽の仕事で多忙を極めていた時期に、どのような経緯でこの作品が書かれることになったのか等、詳細は全く不明。

 

 さらに加えて、この楽譜にも「交響楽」同様、明らかに演奏した上で書き込まれたメモ書きが残されており、楽曲名、作曲経緯、作品完成年月日、初演日時等、謎だらけの作品。

 

 ちなみに関係者の間では通称「名無しの36頁」と呼ばれている。

▲題名不詳の管絃楽作品 楽譜

舞踊音楽「杜子春」

 編成は1管編成オーケストラと混声4部合唱。さらにこれに語り手による朗読が入り、舞台が進行される形となっている。

 作品完成年月日は無記載のため詳細は判明していないが、楽譜の紙質等から1950年代の作品と考えられる。

 

 前2作と同様、表紙部が欠落した状態で発見されたが、合唱が歌う歌詞内に「杜子春」の語の他、「杜子春」のストーリーに即した言葉が入っていることから、小杉氏作品表中の舞踊音楽「杜子春」であると判断された。また、主に合唱の練習のために作られた、オーケストラ部をピアノにリダクションしたリハーサル用リード譜も

併せて同時に発見されている。

 

 また、語り手による朗読は作品構成上、極めて重要なものであったと考えられるが、現在、朗読用の文章原稿や台本等に当たるものは発見されていない。

 

 総楽譜頁数110頁前後。作品は全13曲の楽曲からなり、現在このうち第2曲と第3曲の後半部にあたるオーケストラ譜が、リハーサル用リード譜との照合により欠落している状態であることが判明している。

 

 この作品は、狭いオーケストラピットでの演奏を前提として書かれたため、1管編成という小規模なものではあるが、その前提を無視するかのように、打楽器だけは、3名の奏者に15種類もの楽器(ティンパニ、グランカッサ、スネアドラム、タンバリン、テナードラム、バスタム、大小2種類の銅鑼、合わせシンバル、トライアングル、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、そしてウィンドマシーン、大拍子、締太鼓)がアサインされている。打楽器について極めて造詣の深かったことで知られる小杉氏ならではの編成である。

 

 仙人に操られ栄華と没落を繰り返す杜子春の姿は、小杉氏が最も敬愛した作曲家ストラヴィンスキーの作品「兵士の物語」の主人公ジョゼフを彷彿とさせる。 さらに、語り手よる物語の進行、小規模の管弦楽と妥協のない打楽器編成、という点においても、また然りである。

 

 小杉氏の舞踊音楽「杜子春」に関係して、伊福部先生の御長男、極氏がまだ小学生の頃、学芸会の出し物「杜子春」の配役中、最も責任が重く、かつセリフも多い主人公杜子春に極少年が抜擢されてしまい、晩御飯もろくに喉を通らないほどの重圧に苦しんでいたところ、当時、伊福部先生のアシスタントとして手伝いに来ていた小杉氏が「私も『杜子春』の音楽を作ったことがあるんだから、極ちゃんも頑張って杜子春やりなよ、フォッホッホッホッ(小杉氏独特の笑い方)。」と話していたというエピソードだけは極氏の記憶に残っていたものの、長い間、楽譜の存在すら不明だった作品。

▲舞踊音楽「杜子春」 楽譜

舞踊音楽 日本の太鼓第三輯「綾の太鼓」

 日本の太鼓第三輯「綾の太鼓」(1963)は、日本各地に伝わっている郷土舞踊を基として、新しい角度からの現代舞踊作品をシリーズものとして創りたいと考え、まずは東北地方で伝承されてきた「鹿踊り」、その中でも岩手県江刺郡稲瀬村鶴羽衣(つるはぎ)のものに注目した舞踊家 江口隆哉氏により創作され、伊福部昭先生が作曲を担当した、日本の太鼓「鹿踊り」(1951)を初めとする日本の太鼓シリーズの一つとして創作された。

 

 日本の太鼓「鹿踊り」の続編で、同じく作曲を伊福部先生が担当した日本の太鼓「狐劔舞」(1960)初演の際に、小杉太一郎氏はオーケストラの指揮を務めており、続く「綾の太鼓」では作曲を担当する。

 

 「綾の太鼓」は、原作:世阿弥、作:吉永淳一、原案・舞踊構成:江口隆哉による第18回文部省芸術祭参加作品であり、また、後述の音楽の楽器編成の規模、そして楽譜にNHK 創作劇場と記載されていることから、初演後も舞踊作品のレパートリーとして繰り返し再演していくというような性格の作品ではなく、最初からNHK教育テレビ番組「創作劇場」での放送用作品であることを前提として作られた作品だと考えられる。

 「綾の太鼓」が初演以降再演されたという記録は現在確認されていない。

 

 日本の太鼓シリーズという、師 伊福部昭先生との関連も強い舞踊作品に対して、小杉氏がどのような作曲を行っているのか非常に注目される作品として、兼ねてより楽譜の所在確認が続けられてきたが、これまで発見に至らず、あるいは舞踊関連の場所に保管されている可能性が高いとも考えられていた。

 

 しかし、別頁掲載の劇伴作品楽譜の整理・調査によって、上述のとおり「綾の太鼓」が純音楽作品ではなくTV放送用作品として扱われ、他の劇伴作品楽譜と共に仕舞い込まれていることが判明し、遂にこの度「綾の太鼓」楽譜の発見に至った。

 

 この作品の楽器編成は特徴的且つ大規模なものである。管絃楽こそ持ち替え有りの2管編成:フルート2(内1人はピッコロ持ち替え有り)、オーボエ2(内1人はコールアングレ持ち替え有り)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット3、トロンボーン2、絃5部であるが、これに打楽器(ティンパニ、テナードラム、大型テナードラム、グランカッサ、ボンゴ、キハダ、ヴィブラフォン、大太鼓、中太鼓、締太鼓、銭太鼓、舞台上で演者が奏する太鼓、Sistro、チャッパ)、ピアノ、エレクトーン、女声コーラス2部(ソプラノ・アルト)、男声コーラス2部(テノール、バス)、そしてさらにこれらに加え、注目すべき楽器としてオンド・マルトノが入るという編成となっている。

 

 NHKアーカイブスへの確認により、当時の「創作劇場」は生放送であり、放送時間は45分であったことが分かっていることから「綾の太鼓」も同様の演奏時間であると考えられ、その他楽曲内容の詳細については現在引き続き調査を進めている。

 

 また、奇しくもこの「綾の太鼓」楽譜は2010年、小杉太一郎氏の誕生日である66日に発見された。


▲舞踊音楽 日本の太鼓第三輯「綾の太鼓」 楽譜
オンド・マルトノは楽譜No.1「序奏」でのみ使用されており、
オンド・マルトノ単独で特殊な音響を出すというよりも、
絃楽合奏と同様の旋律を奏するかたちで使われている。